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1970年代のタグ記事一覧

1970年代から現在まで、私がお世話になってきたオナペット達とオナニー体験の告白です。

タグ:1970年代

  • ■エロ漫画

    高校生になりヌード写真が掲載された雑誌を日常的に買うようになっていた頃、初めてエロ劇画誌というものを買いました。数年前から何誌も創刊され始めていて気になってはいたのですが、平凡パンチなどの週刊誌とは違い、表紙からして抜くのが目的のエロ本の雰囲気がぷんぷんとしていて、中学のときには買いづらい雑誌だったのです。ある日、雑誌売り場の前で数人の大人たちが立ち読みをしている中に混じって、私も気になる一冊を手...

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  • ■グラドル・ヌードモデル

    シンディ・ウッド(Cyndi Wood)は1973年2月のプレイボーイ誌のプレイメイトで、1974年のプレイメイト・オブ・ザ・イヤーにも選ばれました。シンディ・ウッドを知ったのは、高校に入学した頃に古本屋で初めて買った輸入版のプレイボーイ誌です。衝撃的なヌードでした。それまで平凡パンチなどで見ていた日本人のヌードとは全然違い、ウエストがくびれていてスタイルが良く、そのうえ綺麗で可愛い、文句の付けようのないエロいお姉...

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  • ■ポルノ女優

    セカ(Seka)は、1970年代後半から80年代に活躍した、アメリカで最も有名で人気の高いポルノ女優の一人です。私がポルノ映画館でスクリーンのセックスシーンを見ながらオナニーをしていた頃、お世話になっていた女優の一人でもあります。Dカップのおっぱいは見るからにナチュラルな柔らかさで、セックスシーンで突かれる度に揺れる様子がとてもエロかったです。裏ビデオを入手してからは、そのおっぱいで巨根を挟むパイズリや、映...

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  • ■エロ漫画

    小学5年でオナニーを覚えた頃、学校で秘密基地というものが流行っていて(空き地に4、5人入れるくらいの深い穴を掘りベニヤ板で天井を作って草で覆い隠したものなのですが)、そこへ漫画やおもちゃを持ち込んで良く遊んでいました。友達の一人が兄貴が買った平凡パンチを持ってくることもあって、その時はみんなでグラビアのヌード写真を見たりしていました。すでにオナニーの快感に目覚めていた私は、そのヌード写真を見ながら一...

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  • ■グラドル・ヌードモデル

    ナンシー・キャメロン(Nancy Cameron)はアメリカのプレイボーイ誌では1974年1月号のプレイメイトですが、1975年7月に創刊されたプレイボーイ日本版のセンターフォールド(中トジのピンナップ)に選ばれたモデルです。この創刊号はかなり話題になり発売当日に売り切れる書店が続出したのですが、高校生になったばかりだった私は放課後に、在庫が大量にありそうな大型書店を探して、なんとか手に入れることができました。掲載され...

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  • ■グラドル・ヌードモデル

    アグネス・ラムはアイドル初のオナペットと言えるでしょう。それまでのアイドルは歌手活動がメインで、性の対象にするものじゃないという雰囲気があり、性の対象にしてもいいのは、セクシー路線やお色気路線などでセックスを売りにしているお姉さんタイプのタレント達でした。そこに登場したのがアグネス・ラムです。元祖グラビアアイドルと呼ばれていますが、つぶらな瞳、日焼けした肌、豊満なおっぱい、カワイイ笑顔でグラビアを...

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♀笠間しろうの劇画で勃起!セックスする豊満熟女のエロい肉体

高校生になりヌード写真が掲載された雑誌を日常的に買うようになっていた頃、初めてエロ劇画誌というものを買いました。
数年前から何誌も創刊され始めていて気になってはいたのですが、平凡パンチなどの週刊誌とは違い、表紙からして抜くのが目的のエロ本の雰囲気がぷんぷんとしていて、中学のときには買いづらい雑誌だったのです。
ある日、雑誌売り場の前で数人の大人たちが立ち読みをしている中に混じって、私も気になる一冊を手に取り立ち読みを始めました。



そこには今まで抜いてきたオカズとは決定的に違うものがありました。
少年漫画誌や週刊誌のグラビアヌードにはなかったもの。
それは、セックスシーンです。
ありあまった性欲が女の裸だけでなくセックスにも向き始めていて、日活ロマンポルノを見たいけどまだ見られる年齢になっていなかった私は、ページをめくりながら興奮しました。
そして、たまたま手に取った雑誌の中にあったのが笠間しろうの作品だったのです。






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♀初めての外人オナペット!金髪モデルのシンディ・ウッド

シンディ・ウッド(Cyndi Wood)は1973年2月のプレイボーイ誌のプレイメイトで、
1974年のプレイメイト・オブ・ザ・イヤーにも選ばれました。



シンディ・ウッドを知ったのは、高校に入学した頃に古本屋で初めて買った輸入版のプレイボーイ誌です。



衝撃的なヌードでした。



それまで平凡パンチなどで見ていた日本人のヌードとは全然違い、ウエストがくびれていてスタイルが良く、そのうえ綺麗で可愛い、文句の付けようのないエロいお姉さんです。



当時は股間の部分は黒マジックで塗りつぶされていましたが、それでも彼女のオールヌードを見ただけで、性欲がありあまっている高校生が勃起しないわけがありません。

オナペットにして毎日のようにオナニーをしていました。

私が外人好きになったのは、彼女のヌードに出会った事が大きく影響しているのかもしれません。



当時、ラードで擦ると黒マジックが消えて隠されていた股間を見ることが出来るという噂があって、実際に何度も挑戦していましたが、後から考えればそんなことあるはずがありません。

20数年後、ネットで無修正のフルヌードを見ることが出来たときは、アンダーヘアの整え方が大きな逆三角形で時代を感じましたが、初めて見たシンディ・ウッドの無修正のヘアヌードに興奮して、久しぶりに彼女をオカズにして何度も抜いてしまいました。








彼女はコッポラの映画「地獄の黙示録」に、ベトナム兵を慰問にやってくるプレイメイト役として出演していました。ヌードにはなりませんが・・・。





♀ポルノ映画館でも裏ビデオでも抜きまくっていたセカ

セカ(Seka)は、1970年代後半から80年代に活躍した、アメリカで最も有名で人気の高いポルノ女優の一人です。



私がポルノ映画館でスクリーンのセックスシーンを見ながらオナニーをしていた頃、お世話になっていた女優の一人でもあります。




Dカップのおっぱいは見るからにナチュラルな柔らかさで、セックスシーンで突かれる度に揺れる様子がとてもエロかったです。



裏ビデオを入手してからは、そのおっぱいで巨根を挟むパイズリや、映画のスクリーンではぼかしの向こう側にあって想像するだけだった陰唇でペニスを咥え込むシーンを見ながらオナニーしまくっていました。







セカのおっぱいが揺れるセックスを見る


♀初めてのオナペットはエッチな漫画のヒロイン

小学5年でオナニーを覚えた頃、学校で秘密基地というものが流行っていて(空き地に4、5人入れるくらいの深い穴を掘りベニヤ板で天井を作って草で覆い隠したものなのですが)、そこへ漫画やおもちゃを持ち込んで良く遊んでいました。

友達の一人が兄貴が買った平凡パンチを持ってくることもあって、その時はみんなでグラビアのヌード写真を見たりしていました。

すでにオナニーの快感に目覚めていた私は、そのヌード写真を見ながら一発抜きたかったのですが、みんなの前でそんなことは出来ません。

だから中学校へ入学して平凡パンチを一人で買えるようになるまでは、堂々と買える少年漫画誌で見ることができる、永井豪のエッチな漫画の女の子たちが裸になるシーンを見ながらオナニーしていたのです。

少年ジャンプでは「ハレンチ学園」の十兵衛、少年チャンピオンでは「あばしり一家」の菊の助でした。



中でも一番のお気に入りは「あばしり一家」に登場する赤黄みどりちゃんだったなぁ。

可愛くて、頼まれると断れない性格のため、登場するたびになんだかんだといつの間にか裸にされてしまうシーンには興奮しました。



特に、入浴中にすけべ怪獣エッチラーに襲われるシーンは何度もオナニーのオカズになりました。

初めてのオナペットだったかもしれません。



最初のうちはこのシーンのページを開きながら部屋で親に見つからないようにオナニーしていたのですが、次第に風呂場で全裸になっているときにこの絵を見ながらオナニーしたくなってきて、次のような方法を考えました。

まずこの絵の上にトレーシングペーパーを置き、鉛筆でなぞるのです。

そのときに泡で隠れている股間の部分を書き足してマンスジも書き込みます。



このころはまだ本物のおまんこを見たことがなかったので想像だけで細い割れ目を書いたのですが、そのときはそんな言葉も知りませんでしたがパイパンですね。

割れ目の間に硬くて大きくなったチンコを入れると気持ちいいという事は知っていたので、書いてるだけで興奮してペニスが勃起しちゃいました。

最後に油性のサインペンで上書きします。

風呂場に入ったら、それを湯船のお湯で濡らします。

その状態でそれを自分の太ももの上に乗せるのです。

そうすると、トレペが透けて肌色になります。



これで、赤黄みどりちゃんのパイパンまんこが見える全裸がカラーになるのです。

それを見ながら、風呂場で毎晩のように全裸オナニーをしていました。

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♀PB日本版創刊号に選ばれたナンシー・キャメロン

ナンシー・キャメロン(Nancy Cameron)はアメリカのプレイボーイ誌では1974年1月号のプレイメイトですが、1975年7月に創刊されたプレイボーイ日本版のセンターフォールド(中トジのピンナップ)に選ばれたモデルです。



この創刊号はかなり話題になり発売当日に売り切れる書店が続出したのですが、高校生になったばかりだった私は放課後に、在庫が大量にありそうな大型書店を探して、なんとか手に入れることができました。



掲載されているプレイメイト達のヌード写真には、日本人とは違ったエロさと迫力があって、その中でもナンシー・キャメロンは豊かで重量感のあるおっぱいが、15歳の私にとってはとても刺激的で、ペニスがギンギンになるほど勃起させられしまい、手に入れた日の夜は3回もシコってしまいました。




センターフォールドのピンナップは、ナンシー・キャメロンの前後のヌードが両面に印刷されたもので、もちろん写真もとてもエロかったので、雑誌から取り外して何度もヌキネタとして使用しました。

外出先のトイレをオナニー部屋にしていたときも壁に貼ってお世話になっていましたよ。




♀アグネス・ラムのオールヌードを想像しながらオナニー!

アグネス・ラムはアイドル初のオナペットと言えるでしょう。

それまでのアイドルは歌手活動がメインで、性の対象にするものじゃないという雰囲気があり、性の対象にしてもいいのは、セクシー路線やお色気路線などでセックスを売りにしているお姉さんタイプのタレント達でした。

そこに登場したのがアグネス・ラムです。

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元祖グラビアアイドルと呼ばれていますが、つぶらな瞳、日焼けした肌、豊満なおっぱい、カワイイ笑顔でグラビアを中心に活動し、「童顔+巨乳+セクシー」という現在のグラビアアイドルの王道を作ったのはまちがいなくアグネス・ラムだったと思います。

初めてテレビCMで見たときから、おっぱいが大きくて、ウエストもくびれてナイスボディなのに顔はとっても可愛くて、すぐに大ファンになってしまいました。

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こんなに健康的でエロい肉体を見てオナペットにならないはずがありません。

彼女の水着写真を見ながらオナニーしていた男は大勢いたんじゃないのかな。

もちろん私だって例外ではありません。

高校生でオナニーを毎日していた頃だったから、水着からこぼれ落ちそうなおっぱいを見ながらアグネス・ラムのヌードを想像するだけで勃起してしまい、オナニーせずにはいられませんでした。

一日に何度も射精してしまったこともあります。

日本中の男達からどれだけ精液を搾り取ったんだろうね・・・

そのうちにもっとリアルにヌードが想像したくなって、小さく切った白い紙を何枚も用意して、写真の水着の部分を隠したら・・・

アグネス・ラムちゃんがオールヌードにみえる!

この方法で、いろんなポーズをしているラムちゃんがオールヌードになったおっぱいや股間を想像しながらオナニーしていた頃が懐かしいです。


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